兵庫県立美術館『ギュスターヴ・モロー展』 ( 2005.07.29 Friday )
開催期間 2005年6月7日(火)〜7月31日(日)
大学生:当日900円 前売600円 オンライン割引券提示600円
(モロー展チケット提示で、コレクション展は240円。)
開催期間短いよ、と思っていたけど、2ヶ月近くあったんですね。
確かゴッホは一ヶ月ほどだった。
後々のために、ブログ内容追加しとこうかな。公式サイトからも1年経ったらすぐ、履歴消えちゃうんだもん。
前回、県立はフェルメールが来たから、息抜きにショボい展覧会するかと思いきや、モロー展とは。デカした!って感じ。(個人的に)
やっぱり県は金持っとるなぁ。
モロー展。
展示室に入った途端、感動した。
正面壁一枚全てを使って、写真パネルが貼ってあった。
モロー美術館の内装再現なのかな?
なんだっけ。あの、ほら、やたら立体的に画面が見える撮影法あるじゃないですか。(え、なかったっけ?)あれが駆使されていて。
随分と近づいても、まだ立体的に見える感じで素敵でした。
実際、私の目の前にいたおじいさんは、パネル1メートル手前に居ながら「この階段を上っていけばエエのか」と本気で、そのパネルに写った螺旋階段を指差していた。冷静にツッコむ監視員とのやり取りが可笑しかった。
写真家冥利に尽きるだろうなぁ。(笑)
そのパネルを横目にすり抜けて、隣の展示室へ進み、本格的にモローの世界へ侵入。
なんか、でも。
前回行ったのが、ゴッホで。駄目ですねぇ。
ゴッホの衝撃からまだ立ち直れてないみたい。
どうしても、画面上に物足りなさを感じてしまう。
激情にあてられたんだなぁ。
そう思いながらも、モローの書く“肉体”には、かなり感動したんですけどね。
しなやかさとか、陶器のような肌、とかそういう言葉が当てはまる女性像。
あと、詩的と言うのもよく分かる気がした。
なんかねぇ、切ないの!絵が!
神話モチーフ物が多くて。
やっぱり、その辺、ちゃんと勉強したいな、と思った。
大学で神話あたりを教えてる先生が、どうしても嫌いで(苦笑)
授業を取る気になれないのが、大学生活の心残り。
今回の展覧会は、そんな無知な人たちを見越して。
あと、大きい展覧会ではないと見越して(笑)、
一つ一つ丁寧に、説明パネルが付いていた。
しかも、じっくり400字コース。物によっては800字。
だいたい美術館において、人がさっと読めるのは200字までらしい。
大きい展覧会になればなるほど、その説明文字数は減っていく。
これほどまでに、じっくり書かれた説明文も珍しいと思う。
でも、書いてもらわないと分かんないしね。神話。有り難かったです。
今回の私の目的は。
サロメ主題の『出現』を観に行くこと。
サロメをサロメと自覚した(って分かりにくい表現かなぁ)のは、
たぶん、ここ数年である。
ファーストインプレッションはビアズリーではなく、たぶん、このモローだった。
その後、まりこさんの影響でビアズリーをビアズリーと自覚して、ビアズリーのサロメをサロメと自覚するにいたるー、と言う感じ。
それにしても、この“サロメ”と言う存在。
何故こんなにも人は惹かれるのか。私だってサロメ好きだ。
大元となっているはずの聖書に描かれているサロメ。(聖書にはサロメと言う名前は書かれていないけど)
ちっとも魅力的じゃない。
聖書は日本聖書協会の新共同訳と口語訳の二つを持っている。(信者じゃないよ、学校がそれ系なだけ)
どっちの訳を見たって、サロメはただの白痴だ。
厳密に言うと、マタイによる福音書のサロメは完璧白痴で、マルコの方は、意志のない乙女だ。
じゃあ、どこでどう大元が歪んだのかー。とか。すごい色々考えてしまった。
モローの『出現』は、数あるサロメものの中でも、特異。
モロー自身も何作もサロメを描いているようだけど、やっぱりこれだけ異なる存在。
生を見て。
改めて、畏怖的な感情を抱いた。
今もなお、ヨハネの首から垂れる血の色が褪せない。
圧巻、だった。
やっぱり、無理してでも観に来て良かったなぁ、と思った。
それ以外にも気に入った作品を書いておこうと思う。
『ガニュメデス』
前回観た、レンブラントの『ガニュメデスの誘拐』とは全然違うの!
こっちは、ガニュメデスが青年でね。同性愛的なんだって。(そっちの方が良いよね。笑)
その辺、比較検証したい感じ。
『ケンタウロスに運ばれる死せる詩人』
『神秘の花』
展覧会全体的には、習作のようなものが多くて、
モローの綿密さを知ったけど、あまりそういうの見るのって興ざめ。
でも、すごく丁寧に作りこまれた展覧会だったなぁ、と学芸員の愛を感じた。
次はサロメはサロメでもビアズリーを見たい。
サントリーミュージアムあたりでやってくれたら良いのに。